ミサの歴史に関する概説2010/03/28 20:12

(管理人注:もう10年以上前、当時の演奏会プログラムに掲載した文章からの転載です。当時マネージャをしていた団員がけっこう気合を入れて書いたものです。別ブログでミサ典礼文について書いた際ちょっと思い出したのであらためて掲載しておきます)



戦後、日本においてもヨーロッパ宗教音楽がクラシック音楽の一分野を形成するまでに成長してきた。特に昨今では、その源泉とも言えるグレゴリオ聖歌がヒットチャートに登場するような知らせも聞かれ、宗教音楽を中心に活動してきた者として、大いに励みにはなる。(私たちのチケットの売上には無関係なのがいただけない)。しかし、一般的にこれらの音楽が宗教的背景を抜きに受け入れられる現実を考えたとき、末長く親しまれる文化として定着するものなのだろうかと疑問に思うこともしばしばである。音楽が、単に芸術として輸入されることに関し、敢えて異論を唱えるつもりは毛頭ないが、音楽をヨーロッパの奥深い歴史の一側面と捉えて、総合的な理解を試みようとする私達の演奏会に足を運んでいらっしゃる皆様のこと、これだけでは満足がいかないとおっしゃる向きも多かろう。そこで本日「モーツアルト時代の典礼音楽」と題し、カトリックの典礼を模した演奏会を開催するにあたり、少し紙面を割いてミサ曲と典礼の関わりについて考えてみたいと思う。

1. ミサの起源と発展の経緯
 ミサと呼ばれるカトリックの礼拝形式の起源は、キリストの最後の晩餐にさかのぼる。
 福音書によると、イエスはユダヤの教えに従い弟子たちと共に過ぎ越しの祝いをするために食卓につき、ユダヤ教の律法に代わる新しい救いの約束(新約)をした。そして、その会食の場でパンを自らの体、葡萄酒を自らの血と表現し、自分が昇天した後も繰り返し集まってこれらを捧げることで、全ての人の罪の許しのために処刑されたキリストの救いの約束を思い出すよう、弟子達に命令した。
 原始キリスト教団において、異教徒への布教を積極的に行っていたパウロは、コリントの信者に送った書簡の中で、「私があなたたちに伝えたことは、主から授かったことである」とし、最後の審判の時まで、パンと葡萄酒を以てキリストの死を記念しつつ聖なる儀式を行うよう指示している。歴史上これがミサに関する最初の記述となる。従って、ミサとは究極的に「食卓を囲み、パンと葡萄酒を分かち合いながらキリストの新しい約束を確かめ合う儀式」を指すものと言える。パウロは既にここで、「主のおん体をわきまえずに飲食する者は、自分自身への裁きを飲食することである」とも述べており、既に儀式に使われるパンが「聖体」として神聖視されていたことがうかがえる。今日のカトリック教会も、パンと葡萄酒をキリストの体と血に変える儀式(聖変化)からその2つを分配して食する儀式(聖体拝領)に至る部分をミサの中心とし、最も神聖な部分であると教えている。

 その後、中心となる聖体拝領の部分を精神的に準備する、回心(自らの罪を思い起こし悔い改めること)と、祈りの部分がつけ加えられていく。当初は、各々の場所で独自に行われていたこの準備の方法も、聖グレゴリオ教皇の在位期間(590~604年)に、中央集権的に整備され、中央(ローマ)においては、ほぼ現在のミサの原型が完成されている。(グレゴリオ聖歌の成立も彼に負うところが非常に大きい)
 ただし、ミサの形式が全教会的に統一されるにはずいぶんの時間を要している。実際、13世紀頃ローマ聖庁がミサ典書を編纂し、普及を図ったが、中世に各地方で個別に発達したミサの形式が統一された訳ではなかった。
最も重要な転換点は、宗教改革の起きた16世紀半ばに起こる。カトリック教会は、トリエント公会議の中で典礼の再整備を行い、1570年聖ピオ4世教皇の時、ラテン典礼の全教会で統一して実施されるべきミサの形式を示し、全てのミサがその形式で行われるよう徹底した。折しも15世紀半ばに発明された印刷術が広く用いられるようになっていたため、この典礼は効率よく普及し、ほとんど全てのカトリック教会で使用されるようになる。この形式は、第2回バチカン公会議によって新たに見直された典礼が施行される1962年まで、実に400年の長きにわたって変更されることなく使用されてきた。

2. ミサの式次第
 こうして完成されたミサの式次第は、概略以下の通りである。(<>内は注釈)

<司祭が祭壇に上がるまでの儀式>
入堂・灌水式(聖水で祭壇を清める儀式)・階段祈祷(司祭の悔い改めなど)

<入祭の儀式>
入祭唱・憐れみの讃歌(Kyrie)・栄光の讃歌(Gloria)・集祷文(まとめの祈り)

<聖書を紐解く儀式>
書簡(使徒行録)朗読・昇階誦(Graduale)・続誦(Sequentia) 福音書朗読・必要に応じて福音書の解説をなす説教・使徒信経(Credo)

<パンと葡萄酒を捧げ、聖体となし、感謝して食する儀式>
奉献誦(Offertorium)・密誦(Secreta)・序誦(Praefacio)・感謝の讃歌(Sanctus)・奉献文(Canon Missae:聖変化を含む中心的な祈祷)・感謝の讃歌後半(Benedictus)・主祷文(Pater noster:主の祈り)・平和の讃歌(Agnus Dei)・聖体拝領・聖体拝領誦

<終祭の儀式>
終祭誦(Ite missa est

 当初会食に近い形で単純に行われていた礼拝が、1500年以上の時を経て整備されていった結論がこれである。ミサの中心部分である聖体拝領を十分な精神的準備をもって迎えるため、各々の式文は十分に吟味され、内容的にも非常によく整理されたものとなっている。しかし、誤訳などによる典礼解釈の分化を極端に嫌うあまり、ラテン語によるミサに固執し、一般の会衆の理解を妨げる弊害も生まれた。(日本においても本日演奏される式文と同じものが、1962年まで使用されていた)第2回バチカン公会議では、その弊害に対する反省もあり、各国の母国語による典礼が奨励されるに至った。ただし、形式的にはおおむねそれまでのミサの形式を踏襲しており伝統は守られている。本日の催しで関心を持たれた方は、実際にカトリック教会に出向き、日本語のミサに参加されてはいかがか。きっと新しい発見があるに違いない。因みに本年(1998年)の復活祭は、4月12日となっている。

3. ミサ通常文
 上述の式次第中、太字の部分がミサ通常文と呼ばれる部分である。ここではミサの各部分に関する詳細を述べるスペースはないが、各時代の作曲家がこぞって曲をつけ、ミサ曲としてなじみの深いこの通常文について、簡単に触れておきたい。

Kyrie
 東方より伝えられ、5世紀末にはギリシャ語のまま受け入れられた。当初は、連祷に対する答えの句として唱えられ、ミサの中頃で使用されていた。中世期に入ると父と子と聖霊の三位一体を意識して、3つ(キリエ、クリステ、キリエ)を3回ずつ、計9回唱える習慣が生まれ、次第に入祭の祈願として定着したようである。

Gloria
 聖夜に、天の大群が舞い降りながら歌った「天のいと高き所には神に栄光」で始まる讃歌である。宗教的には、キリエの祈願に対する歓びの答え、神とキリストの栄光をたたえ、強い希望をに燃えて、救いのみわざを願う歓びの歌と位置づけられる。ギリシャで作られたテキストがラテン語に訳されて導入されたとされる。待降節(クリスマス前)、四旬節(復活祭前)、死者のミサ(レクイエム)では、歌われない。

Credo
 4世紀以前から洗礼の証として唱えられてきたが、ニケア、コンスタンチノーブルの公会議の決定に基づき信仰告白としてまとめられたため、ニケア・コンスタンチノーブル信経とも呼ばれる。東方教会では5世紀からミサに取り入れられているが、ローマの教会に取り込まれたのは、11世紀に入ってからとなる。朗読された福音書(キリストの言葉)の後に、キリストの一生を振り返り、中心的な教義への力強い信仰の誓いで結ばれる。

Sanctus
 ミサの中心部分「奉献」の祈りに入る直前に、司祭「主の栄光の讃歌を歌い続けよう」の呼びかけに応える形で歌われる荘厳な祈りである。通常文の中でも極めて古い起源を持ち、2世紀にはすでに唱えられたと伝えられる。元々ベネディクトゥスと一体の祈りであったが、壮大な讃歌を長く歌うため聖変化をはさんで2分されるようになった。

Agnus Dei
 元々「奉献」の祈りが終わり、パンが裂かれる際に司祭が小声で唱えていた祈りが、会衆参加の祈りに発展した。現在の教会においてもこの祈りに入る前に司祭が「主イエスキリスト。あなたは使徒に仰せになりました。『私は平和をあなた方に残し、あたしの平和をあなた方に与える』私達の罪ではなく、教会の信仰を顧み、お言葉のとおり教会に平和と一致をお与え下さい。」と祈る。主の食卓を囲んで互いに助け合い、心安らかに毎日を送ることを願うこの根元的な祈りで通常文が結ばれている。


 ヨーロッパの偉大な作曲家に投げかけられてきたキリスト教信仰という命題は、ミサ曲などの宗教音楽を通じて応えられ、今に伝えられている。本日演奏されるモーツアルトのミサ曲(KV337)も、実際に1780年にザルツブルグ大聖堂の復活祭ミサのために作曲された正真正銘の典礼音楽であり、単に音楽としてだけでなく、モーツアルト自身の信仰の証として非常に大きな意味を持つものである。
本日こうしてナドウ神父様をお迎えし、典礼に従って祈りを捧げていただきながら演奏を進る機会を持ったことで、精神的な側面からもモーツアルトの作品に光が当てられ、新しい発見が生まれることになろう。慣れない進行に戸惑われる方もおられようが、しばし流れる祈りに耳を傾け、カトリック教会の説くキリストの平安の意味なども考えてみてみてはいかがか。

(高内 章)

(注:本日演奏されるグレゴリオ聖歌は、復活祭用の標準的な曲目です。実際にザルツブルグで使用された曲目は、モーツアルト以外の当時の作曲家によるものも含まれており、忠実に当時のミサを再現したものではありません。なお、本日は実際のミサではないため、ミサの中心部分である聖体拝領に関わる部分などを割愛して進行してまいります。)


(1998年4月4日の演奏会のプログラムより著作者の許可を得て転載)

Conyright (C) 1998 Akira Takauchi. All rights reserved.

ミサ・ブレヴィス(6) - 飯島直人2008/12/30 23:37

ミサ・ブレヴィスの構成まとめ表


筆者の怠慢でアップが遅れがちのところ、あっと言う間に今年も最後となった。合唱団20周年記念企画などとしていい加減な駄文を連ねてきたこの連載も今回で区切りとしたいと思う。
今までいろいろの方向から書いてきたが、十分な論述ができなかった部分、書き足りない部分も残っている。たとえばイ長調のミサ曲はクリステとグローリアに合唱各パートソロでレシタティーフのような音楽が付いており、合唱の中で独唱曲のスタイルを試したものであるとはいえないだろうか。(事実このグローリアは、原曲のカンタータではバスの独唱である。)
またこのイ長調ミサ曲の第2キリエに見られる非常に巧妙な転調を伴った循環フーガ、さらに結尾部に見られる各パートの十字架音形による終止は、まさにバッハの代表的な手法であり、非常に興味深い。
また今回は独唱曲については詳細に論じていないが、4曲のミサ曲とも、グローリアの中間部に独唱を配するという点では共通していながら、独唱者のパート選定、曲の構造など、決してマンネリに陥らずさまざまな音楽の可能性を引き出しているところは、バッハの「職人」としての確かな腕をうかがわせる。

まとめの意味で、本連載の第2回で出した各曲の構成についてまとめてみた表を再度掲げる。あらためて見てみると、バッハがミサ曲という1つの形式からさまざまな音楽の可能性を引き出し、具現化していることがよくわかる。こうした数々の試みが、晩年のあの「ロ短調ミサ曲」に結実するのだし、また1つの形式から職人芸ともいえる巧みさであらゆる作曲の可能性を引き出すアプローチは、たとえば鍵盤楽器での「単一主題による変奏曲」の極めつけといえる「ゴールドベルク変奏曲」、また「プレリュードとフーガ」の形式の集大成ともいえる「平均率クラヴィーア曲集第2巻」などに引き継がれ、晩年のバッハの作曲の基本的なポリシーを形作ることになるのである。

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ロ短調ミサ曲 - 合唱団20周年演奏会を終えて - J.Poo2008/11/03 23:18

京都バッハ合唱団は本日、創立20周年の演奏会を無事に終えることができました。
お世話になった皆様、本当にありがとうございました。

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バッハの「ロ短調ミサ曲」の魅力については多くの人がいろいろなところで書いておられるし、私がこの場で駄文を重ねることもないかと思うが、今回演奏を終えてみて改めて、演奏の出来とは別に「演奏して幸せだった」という素直な感謝の気持ちを持つことができたことが私にとっては最大の喜びであった。
よく知られているようにロ短調ミサの終曲「Dona nobis pacem」はGloria中にある「Gratias agimus tibi(感謝したてまつる)」の繰り返しであり、さらにその元になっているカンタータBWV29の合唱曲は「われ汝に感謝す Wir danken dir, Gott」という歌詞をもっていて、 「感謝」というキーワードが二重に示されている。さらに言えば、その前のBenedictusもミサでいえば聖体拝領の音楽であって、ミサという儀式の中で主の秘蹟に感謝をささげる場面の音楽であるし、Agnus Deiだってそうである。その意味ではHosanna以降のミサ曲の最終部分すべてが「感謝」というキーワードでつらぬかれているわけである。今回このBenedictusからAgnus Deiにかけての部分はソリストの先生方に見事な歌唱をしていただいた。そのおかげで、合唱団側もこの部分の音楽についてあらためて感じとることができたのではないかと思う。

さて、明日からまた日常が始まります。