バッハ:モテットBWV 228 「恐るるなかれ、われ汝とともにあり」を大阪弁に訳すと2020/02/03 22:02

(管理人注:以下は団員の1人が自分のFacebookに掲載された記事をご本人の許可を得て転載するものです)


5月の京都バッハ合唱団の演奏会で歌います。

以前、親戚のキリスト教の前夜式に出席したことがあります。キリスト教ではお通夜とは言わず前夜式ですね。驚きました。日本のお通夜と違い、悲しみにくれるというより、亡くなった方が神のもとにゆける事を一緒に喜びましょう、という、ある種の晴れやかな雰囲気なんですね。

バッハのモテットはすべて、追悼式、葬送のために作曲されたものです。したがってモテットとは、死を念頭において書かれた音楽です。このモテットもライプツィッヒのある著名人の未亡人の追悼式の音楽として作曲されました。葬送の曲ですが、どうでしょう、曲は華やかで、深刻さとはかけ離れています。これは、キリスト教においては、死は否定的なものでなく、新しい始まりである、ということと関係します。バッハの音楽のキーポイントのひとつです。

 Fürchte dich nicht, ich bin bei dir. 恐るるなかれ、われ汝とともにあり

文字通りには、神が死にゆくものに発した、”恐れる事はない、私はあなたとともにいる”という言葉です。文語調の邦題のため、すごく硬くきこえますね。

では、キリスト教を離れ、宗教的な意味合いからも離れて、関西風に訳してみましょう。
大阪弁では、
「心配せんでもええで、わたしがついてるやん」となります。
お母さんが子供に、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、お母ちゃんがついてるで」。
奥さんが頼りない旦那に、
「なにごちゃごちゃいうてるの、わてがおるやないか」
もうこうなると夫婦善哉の世界です。

世の中何がおころうと、わたしがいるから大丈夫、というのは、世の東西、古今を問わず、極めて強烈なメッセージですね。

後半のフーガにある言葉

 Du bist mein, ich bin dein. 汝はわがもの、われは汝がもの

これもバッハが好きな言葉です。あちこちに出てきます。
究極の愛です。
神と人間の愛なのでしょうが、ひととひとの愛、母と子の愛、さらには、男と女の愛でもあるのでしょう。
直接ではなく持って回った表現をするのが、バッハの時代なんですね。 この言葉が延々と繰り返される、BWV140のデュエットなどは、イエスと魂の2重唱というより、聴きようによってはたいへん色っぽいものです。
もっとも、これを大阪のおばちゃん風に大胆に意訳すると、色恋をはなれて「わてのものはわてのもの、あんたのもんはわてのものや」と身も蓋もない事になってしまいます。

こんな風に、大阪弁でバッハを歌ってみると、バッハもきっと身近なものになるでしょう。

二重合唱をめぐって2020/02/02 17:41

(管理人注:20年以上前に別の合唱団のプログラムノートに載せるために管理人が書いた文章です。旧HPに掲載したあとほったらかしてましたが、ふと思い出したのでこちらにも掲載しておきます。)(初出:2000/07/07)



 その筋の関係者でない人にとっては、 「二重合唱」という言葉にはややな じみが薄いかもしれない。学校の音楽の時間では、ではソナタ形式とか交響曲 とかいった用語とともに、さまざまなヨーロッパ音楽の形式(楽式)を習うが、 その中で「二重合唱」というものを習った人がもしいるなら、その人はよほど 好運な人であるか、先生がよほど変わった人だったのだろう、と言ったら失礼 だろうか。しかし、合唱音楽がもっとも 盛んであったバロック時代には、二重合唱というのは合唱曲の代表的な スタイルであったのである。



 合唱団を2つのグループに分ける 二重合唱という音楽形式の歴史をたどってみると、その起こりは 16世紀のイタリアから発達したもの であると言われている。とくに、ベネツィアのサンマルコ大聖堂にいた ジョバンニ・ガブリエリ(1557-1612) やその叔父にあたるアンドレア・ガブリエリ (1510?-1586)らの人々は、合唱曲においてばかりでなく、器楽 曲においてもこの手法を発展させて用い、"Cori Spezzati" (分割された合奏体というほどの意味のイタリア語)様式と呼ばれるひとつの スタイルを確立させた。
 合唱団や合奏体を2つのグループに分けるというアイディアは何でもない ことのようにも思える。しかし、2つのグループを対比させて用いるという 考えは、単に編成だけの問題ではなく、音楽を有機的に構成していく上での さまざまな新しい可能性を含んでいた。たとえば音量の問題だけをとって みても、2つのグループが交互に歌う部分と、同時に歌う部分とを組み合 わせることだけで、1つの合唱団では得ることのできない響きの変化が得られ る。それはちょうどオルガンのストップ(音栓)を引いたときのように、 音色の対比を生み出し、音楽表現の幅を広げた のである。



 16世紀ヨーロッパの合唱音楽は、いわゆる ルネサンス音楽の終期をむかえて おり、有名なジョスカン・デ・プレの「アベ・マリア」や、パレストリーナ のポリフォニー合唱曲などにみられるような清澄な響きの <通模倣様式>の時代であった。 こうした時代に、ガブリエリらの二重合唱の書法はきわめて新鮮に写ったに ちがいない。多くの作曲家がこの手法を取り入れた。つづくバロック時代の 音楽では、音色のコントラスト というものが重要視されるようになり、二重合唱の手法はこのスタイルに きわめてよく適合したのである。この書法の発展により、それまでの合唱 の機能は大きく拡大され、器楽と結びついてよりダイナミックな 表現が可能になり、とくにドイツのバロック時代においては二重合唱はひ とつの流行となったのである。



 ドイツのバロック音楽の流れを考えるとき、もう1つ大きな流れがある。 コラールというものの存在である。
 もともとコラールというのは宗教改革の時代にカトリック典礼に対抗す る「賛美歌」として始まった。 宗教改革の推進者であったマルチン・ルター (1483-1546)もみずからいくつかのコラールを作曲してい る。ドイツ・プロテスタントの礼拝ではその後もコラールは日常的に 歌われるようになり、その旋律はドイツの民衆のなかにしっかりと 根付くことになった。 聴衆はコラールの旋律を聴くだけでそれが どのような歌であるかすぐにわかったし、そのコラールの歌詞にこめ られた感情をもすぐに理解することができた。 コラールの旋律は、聴衆にとって、まさに 「自分たちの音楽」だったので ある。
 コラールはその後、その時代のドイツで歌われていた単純な旋律をもつ 世俗的な歌曲の旋律をも取り入れて、あるときは素朴に、あるときは 複雑な和声付けのもとでさまざまな編曲を生み、またかずかずの合唱曲 や器楽曲の中に素材として使われるようになり、最終的には 「コラール変奏曲」と呼ばれる 独特の形式を生み出すようになった。



 二重合唱とコラールというドイツにおける合唱音楽の2つの要素は、 セバスチャン・バッハ(1685-1750)のモテット において融合し、1つの完成された姿 としての到達点を形作る。
 バッハの残した合唱のためのモテットはその半数以上が二重合唱用の ものであり、ドイツの合唱曲に親しんだことのある人間にとって避けて通れ ない課題である。どの曲にも当時親しまれていたコラール旋律がさまざまな 形で利用されている。コラールの旋律は、あるときには曲全体を統一する基 本主題として使われ、あるときにはフーガの素材となり、あるときには定旋 律として提示される。合唱は、あるときには二群に分かれて立体的に呼び 交わし、あるときにはひとつになって壮麗な響きを生み出す。バロック音楽 の合唱音楽のもつさまざまな要素が、セバスチャン・バッハのモテットの 中にきわめて集約した形で聴かれる。



 セバスチャン・バッハ以後、合唱音楽は器楽、とくに管弦楽と結び付いて、 より規模の大きな表現が求められるようになり、カンタータ、受難曲など の管弦楽付きの作品を始め、よく知られたハイドンやモーツァルトなどの 近代的なオーケストラ付きのミサ曲やレクイエム などの大規模な宗教音楽 に発展して行くことになる。合唱音楽は管弦楽の豊かな響きと表現力を 手に入れることになったが、合唱としての固有の表現はむしろ弱くなり、 その中で、二重合唱というスタイルそのものは、モーツァルトの有名な 「ハ短調ミサ曲」を最後に、停滞の時期 を迎えることになる。管弦楽が もっとも発達した19世紀から20世紀にかけては、メンデルスゾーン やブラームスなどの一部の作曲家を除いて、二重合唱は多くの作曲家の 興味をひかなかった。時代はより刺激の強い音楽を必要としたのである。